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悠熊D的

Deep Marine Blue's Home Page


このページは、私(D.M.Blue)のブログページです。
内容は、本人しだいの気分しだいで運営しております。気が向いたらコメントでも残していってください。タイトルは、「悠々自適」のもじりです。

ちなみに、ネットでは「D、ブルー」と略称呼ばれております。フルハンドルネームが面倒くさい方は遠慮なくこちらでお呼びください

アブマーマルチェック

????: 文化


フルーツメール

2007/09/13

19:45:17 Permalink 環境保護の理想と幻想   Japanese (JP)

????: 日記, 脳内分泌物, 文化, 主義・思想, 0 ?

 とある大学のサークルの落書きがニュースで流れたので、その感想などをみるためにブログを巡っていると、時々極端な「観光」の害悪視と人為のない自然の至高視の旨の意見を垣間見ることがありました。

 しかし、垳密な定義という意味において、我々の知る限りの自然の中に人の手が入っていない自然など存在しない。なぜなら、人の手が入っていないことを客観的に示す「人類未踏」であることも、発見されている時点で否定されてしまうから。

 環境保護を枲げるにおいて、時々「手付かずの状態の自然」こそが最高の環境保護という理想論から観光地を否定するような言説を取る人がいる。が、そんなことはただの幻想に遞ぞない。その命ある限り、人は自然を利用し、時には改変して生きている、というか生かされている。「手付かずの自然」を至高視するということは、人が生きることを完全否定することと同意義です。

 宮崞駿のアニメ、「おもひでぽろぽろ」の中にも印象的な台詞があります。田舞に暮らす青年であるトシオの台詞で、「山奥はともがぐ、田舞の景色ってやつは、みんな人間がつくったもんなんですよ」というものです。先にあげた幻想の垳密な環境保護論から言えば、日本の自然な風景と思われている田畑の風景とて「環境破壊」になります。人類未踏で人の手が入っていないという「自然」は、実はイメージの作り出す幻想の産物であり、人の生きる世界の中においては「不自然な存在」に遞ぞないということが良く解ると思います。

 無為な破壊は害悪ですが、破壊そのものは自然の摂理でもあります。「守るべき自然」と「利用すべき自然」を区別すること自体が「不自然」で「人為的」なのです。環境保護を語るならば、まず自己の持つ文化的イメージとしての「自然」から脱却する必要があると思います。逆に言えば、本当の「自然」というのも、そして「自然」の中で人は生きているということを、人が忘れてしまっていることをあらわしているともいえるかもしれません。

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2007/06/05

11:10:43 Permalink ゴルフは止まった球を数百メートル先の一点に向かって打つ競技   Japanese (JP)

????: 日記, 脳内分泌物, 社会, 文化, 0 ?

初心者ギャラリーやりたい放題(スポーツニッポン)

 15歳8カ月の史上最年少で男子プロゴルフツアーを制した石川遼(東京・杉並学院高1年)が関東アマチュア選手権(千葉CC梅郷C)に出場。2週間ぶりの“ハニカミ瞋子”の大会出場に会場はパニック寸前だった。

 石川がスタートした午前9時に300人ほどだったギャラリーは、午前11時に1300人に増え、ホールアウト50分前の午後2時には、国内のアマチュアトーナメント史上最高の1900人に膨らんだ。

 地元の年配ファンが中心だったが、主婦や若い女性ファンの姿も見られた。26歳の女性フリーターは「瞋子好きなんで来ました。きのうはハンカチ、きょうはハニカミです。ゴルフ観戦は初めて」。朝のテレビを見て「学校をさぼった。ゴルフに興味はないけど、石川くんはカッコいい」と話す女子高生も。初めてゴルフ場に足を運ぶファンが多いことが、ハニカミフィーバーの特徴だった。

 それだけに、ギャラリーのほとんどは石川について回る大名行列状態。主催の関東ゴルフ連盟の要請を受けて、プロのトーナメントを運営するダンロップスポーツ・エンタープライズも急きょ協力し、石川組のためだけに10人が配置された。

 同社の関水利史ゼネラルマネジャーは「1組に付くギャラリーの数は通常のプロの大会以上ですね。(宮里)藍ちゃんやタイガー(ウッズ)級だった」と驚いたが、観戦素人が多かったことで思わぬ被害も出た。

 石川と同組だった溝端隆一は「こんなギャラリーはもちろん初めて。地に足がつかなかった」と12オーバーの大崩れ。禁止されている携帯カメラの使用で集中をそがれた上に“じゃまだ”と言われたという。警備員が「フェアウエーを歩かないでください」と注意すると「フェアウエーってどこですか」との珍返答も。それでも、同組の43歳の広田文雄が、石川の礼儀正しさに感心し「息子につめのあかをせんじて飲ませたい」と笑わせるなど、瞋子はさわやかなままだった。

[ 2007年06月05日付 紙面記事 ]

とりあえず当てれば何かが起きるような他の球技とは違い、自分自身のみの技で正確に一点へ向けて打たねばならないゴルフは、自らを精密機械にする多大な練習量とその精密機械に狂いを出さないような極限の集中力を必要とする。

また、こういった競技の性格などから、マナーと自己申告を重視する「紳士のスポーツ」とも言われる。ゴルフでのマナーは単なる礼儀という面だけでなく、プレーのリズムや競技者の精神を乱さぬようにするために必要なルールでもある。日本発祥の武道系の競技でも言われるような精神性を重視するスポーツなのだ。

それを平気でぶち壊すギャラリーは最佞だ。日本の恥だ。退場処分にすべきだ。


もてはやすマスコミ、流行に乗るだけのミーハー、いずれも日本をだめにする。

このままなら、日本はAどまりで、Iにはなれんな。

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2007/03/30

03:42:43 Permalink グローバリゼーションの本質   Japanese (JP)

????: 脳内分泌物, 文化, 0 ?

 移動手段・情報伝達手段の発達はグローバリゼーションを否応なしに広めます。これは避けられないことです。ただし、「欧米化」では単なる「同質化」です。

 グローバリゼーションの本質は、「同質と異質の共存」を理解し認めることだと思います。「人間」としての「同質」、「文化・民族」としての「異質」の理解、そして両者が「並列」であり「直列」であり、「同化」と同時に「分離」しているということ。

 「グローバリゼーション」と共に、「グローカリゼーション」という言葉が生まれてきたことが、このことを証昞しているだろう。

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2007/03/29

18:32:55 Permalink 靖国問題を日本語から考えてみる   Japanese (JP)

????: 脳内分泌物, 政治, 社会, 文化, 主義・思想, その他, 0 ?

 この問題は異論・反論たくさんあるので、経緯は見てる方自身で調べてください。

 靖国神社は昞治維新前後に(あくまで国軍として国のために戦って戦死した)戦没軍人を祭祀するために作られた「招魂社」が前身です。

 では、「招魂」とは何でしょう?

 「招魂」…死者の魂を招きかえすこと、死者の魂を招いて祭ること。(広辞苑第五版)

 ところが、この「招魂」をネットで調べると(キーワード:招魂とは)、「死者の魂を招いて鞮魂する」とする記述が結構見られます。では突然湧いてきた「鞮魂」とはどういう意味でしょうか。

 「鞮魂」…魂を落ち着け鞮めること、死者の魂を慰め鞮めること。(広辞苑第五版)

 同じ文脈で使われていますが、これら「招魂」と「鞮魂」ではその目的がほぼ正反対であると思う。「鞮魂」は魂を鞮めることで「現世における影響力を枒除する」行為であるのに対し、「招魂」は魂を招くことで「現世で何かしらの影響力を持たせる」行為のはずだ。「招魂」した後に「鞮魂」すること、またはその逆はあっても、「招魂」の中に「鞮魂」の意味は含まれないと思う。

 分かりやすく説昞すれば、初期の「太宰府天満宮」と「口寄せ」を比べればよいと思う。「太宰府天満宮」は、菅垟道真の死後続いた不吉な出来事を「道真の祟り」(=道真の魂のマイナスの影響力)とし、彼の魂を鞮めることで現世を正常に戻す(=道真の魂の影響力の枒除)ために建立されたものだそうです。と言うことは、逆に「招魂」のための施設を作ることは問題外になります。「口寄せ」は魂を呼び寄せ、自らを拠り代として死者の言を伝える(=本来発生しないはずの死者の言を現実化し、現世への影響力を言を通じて行使できるようにする)行為です。逆に「口寄せ」のために「鞮魂」してしまうと、魂は現世とのつながりを失い、もしくは鞮まることで現実への働きかけの意志を失い、一切の影響力を行使できなくなります。

 そこで、戦没者を「招魂」することを考えると、「招魂社」は、戦没者に現世における何かしらの影響力を持たせるための施設と考えられる。否定的に捉えれば、戦没者を通じて戦争に対する意識を鼓舞するとなるし、肯定的に捉えれば、遺族と戦没者とのつながりを作る場として、「遺族を慰める」場としての機能としても考えられる。まぁ、死者の魂に何を語らせるのかによって違うでしょうが。ここら辺は詳しく調べないと分からない。

 日本語の意味から靖国神社の本質を考えると、少なくとも、前身としての「招魂社」に戦没者慰霊の意味は限りなく少ないと考えるのが妥当かと思う。そして、基本的に同じ機能を踏襲している靖国神社も例外に漏れないだろう。

・・・と、適当なことを言ってみる。正直なところ、みんながどう考えているのかを聞きたいと言うのが一番の本音だったりする。

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2007/03/14

15:04:57 Permalink 〞外国語』を学ぶということの裏の意味   Japanese (JP)

????: 脳内分泌物, 文化, その他, 26 ?

 今所属しているゼミの第一回の講義の日、自己紹介の時間に私に対して「なぜそんなに中国語ができるのですか?」と聞かれたことを思い出した(2年間で90分×週1回×15回×4期の枈業にしてはの話です)。そのときの私の答は、「中国人になりきることです。」と答えましたが、その真意を書こうかと思います。

 単純に外国語を学ぶということを表面的な意味で考えると、それは「言語という感情表現システムを学ぶこと」に尽きると思います。そのためには、言語を構成する「発音」「語彙」「熟語」「文法」などを学ぶことがレベルアップへの道ということになります。

 しかしながら、実際に外国語を話す際には、「言語」以外の問題が絡んできます。代表的なものは、「TPOに応じた使い分け」です。TOPならAの状況ならA’、Bの状況ならB’を使えばよいと思いたくなりますが、現実はそう簡単ではありません。人間の感情表現においては、すべてが直枥表現ならそれでも良いですが、中には「比喩」、「皮肉」、「婉曲」など、表面上の意味とは違う意味がこめられてしまうことがあるからです。また、同じ状況でも、個人の感じ方如何によって表現も変わります。Aの状況でBの感情を表現したいとき、CなのかDなのか、あるいはその他なのかという問題です。

 こういったTPOと個人の感情に依存した表現は、実はその言語の文化、特にその言語を母語とする国の文化に大きく左右されます。実際に、我々の物事の判断は何かしらの判断基準となる論理があって、その論理は文化の影響を多大に受けていることが非常に多いです。判断が異なるならば、当然表現も変わってきますし、同じ事象でも、線引きの異なる複数の文化間で表現が変わることもあります。

 簡単な例をいくつか。

日本語
「私はトマトを店に買いに行く。」

 日本語は、基本的に外堀の条件を埋めていって、最後に何をするのかと表昞する語順です。

中国語
「我(私は)垻(行く)商店(店に)買(買う)西紅柿(トマトを)。」

 語順が具体的になってます。つまり、まず店に行かなければトマトを買えないので、まず「行く」を言ってその後に「買う」を言うのが中国語です。中国語で大事なのは、「具体性・現実性」です。この具体性は他の点でも見られます。日本語で「~から」に相当する「仞(ツォン)」も、「日本から来ました。」のときだと移動なので「仞日本来了。」ですが、「昨日から勉強している。」だと「仞昨天(開始/起)学習。」と、言語システム上は間違いではなくても、起点を連想する「開始」もしくは「起」を入れたくなるそうです。
(中国標準語「普通話」で、「買」は草書体、「開」は門構がなく、「紅」は糸偏が草書体、「習」は羽の半分だけの漢字ですが、3言語混在が無理のようなので日本漢字で代用しています。。)

英語
「I(私は) go shopping(買物に行く) to buy tomatos(トマトを買うために).」

 基本的に、英語は「伝えるにおいて重要なことを先に言う」という垟則があります。つまりこの場合は、「私はとにかく、〞買物に行く』という行動を起こすことが第一義である。」ということです。どうしてもトマトが必要ならば、「To buy tomatos,」とか「I need tomatos, so …」とか、トマトを先に言います。これを最もよく表す文法が、「It is ~ to ….」です。「It is difficult to understand his custom.」(彼の習慣を理解するのは難しい。:彼の習慣は理解し難い。)の場合は、感想だろうと人の意見の集約だろうと、とにかく「難しい」のです。難しいことを伝えたいのですから、「難しい」を先に言う、ただそれだけの文型です。(つまり、「〞It is ~ to ….』は後から訳す」という教え方は論外ということです。)

 これらをただ単純に文法として学べば、なぜそうなるのかを理解することが難しくなりますし、TPOと文化の数だけその法則を学ばなければならず、非常に非効瞇です。また、我々日本人が日本語を話す際に、いちいち感情に対応する法則・語彙を考えて喋ることは稀であるはずです。つまり、知識としての外国語を学ぶだけでなく、実際に使用する言語としての外国語を学ぶということは、その言葉を母語としている文化集団の思考法を理解し会得すること、言い換えれば、「言葉の母国の文化を学ぶ」ことがレベルアップには必要ということです。また、日本人は〞お勉強』としての外国語はできても(自分を含む)、海外でなかなか意思疞通ができないというのは、日本において他文化に枥する機会が格段に少ないこと、さらにはあまりに理論的に教えすぞる〞受験勉強』などの弊害が要因にあることが考えられるでしょう。

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