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悠熊D的

Deep Marine Blue's Home Page


このページは、私(D.M.Blue)のブログページです。
内容は、本人しだいの気分しだいで運営しております。気が向いたらコメントでも残していってください。タイトルは、「悠々自適」のもじりです。

ちなみに、ネットでは「D、ブルー」と略称呼ばれております。フルハンドルネームが面倒くさい方は遠慮なくこちらでお呼びください

アブマーマルチェック

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フルーツメール

2007/10/04

22:13:46 Permalink 死刑・・・量刑とは何なのか   Japanese (JP)

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 派遣社員の女性がアングラサイトで知り合った男達に殺害された事件の遺族が、ネット上で死刑を求める署名を集めているそうです。そういえば、相手の飲酒運転中に発生した事故で子どもを失った人も、母子を殺害された夫も、被告に死刑を求めているというニュースもありましたね。

 でも、死刑を求めるということは、ハムラビ法典の同害復讐法、〞目には目を、歯には歯を。』の精神ですよね。間枥的ではあるにせよ、加害者を殺害するという加害者と同じ行動をとるということですよね。個人的には、それはどうかと思う(ただし、言い訳しておくと、決して私は他人事として言っているわけではない)。

 ニュースとかを見ていると、たまーに加害者も死刑を望むときがありますね。それって死刑にしたところで量刑にどのような意味があるのでしょうか。少なくとも、加害者自らが望んで受ける以上、死刑という量刑に罰としての効力はは佞いと思う。こういう場合はもっぱら被害者の心情を考慮するという意味合いのほうが強いだろう。

 それとは違う次元でも、疑問に思うことがある。人間すべてにとって、本当に「死」よりつらいことは存在しないのだろうか。死刑が「極刑」といわれるとおり、基本的に「死」が人にとって最大の脅威だという価値観を元にそれが規定されているし、その価値観が一般的なのはわかる。が、一瞬で終わる恐怖と、生きながらえて死ぬまで自らの罪と向き合わなければならないという時間が丞える恐怖と、どちらが加害者の刑罰に相応しいかはわからない。それは加害者各人の考え方次第だ。事実、死刑という一瞬ではなく、生きながらえて自らの罪と向き合い、「死よりつらい」選択を望む被害者も見られる。

 そう考えると、現代日本の「法律・刑罰」という絶対的で公正と思われるものも、実は異なる価値観を前にすると、法律は公正ではなく量刑は相対的であるという事実が浮かび上がる。簡単な例で言えば、罰金刑のみの犯罪もその罰金の額が違反者の経済力に対して少なければ全く効力を発揮しない。刑罰なしの法律の場合は、違反に対する恥や違反に伴う損失を感じる人には効果があるが、違反に何も感じない人には効果がない。

 いずれも、お金という経済的損失、恥、汚名、風評、その他の損失等、法律や刑罰に対する「恐怖」が法律・刑罰を機能させている力の源泉になっている。法律・刑罰は、基本的に「恐怖」の具現化なのだと痛感させられる。

・・・そういう意味では、どの世界においても恐怖統治から抜け出ていないということか。

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2007/08/12

14:38:37 Permalink 統計に注意   Japanese (JP)

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 たまたま某大手サイトでマクロ指標の一つの統計データで日本の格差拡大論を否定するエコマミストのお話が載ってました。

 いやいや、大変りっぱなものでした。その稚拙具合がね。

 内閣府の統計資料を根拠に、一人当たりの県民所得(名目)をジニ係数でみて格差はそれほど広がっていないといってたのですが、そもそも県民所得自体が県民個人個人の所得(雇用者報酬)だけでなく財産所得と企業所得を含んでいるのだから、県民所得を根拠としたマクロ統計でいくら格差は拡大していないとのたまっても、一般市民の声のミクロの感覚、現実の格差とは異なる可能性があるのは当然の話(現実問題として、企業活動の活発化の反面、賃金や物価に反映されていないということがこのことを示す一要素でもある)。しかも、内閣府の別の資料(県民経済計算)では1人当たり県民所得の都道府県間ばらつきを変動係数でみると3年連続で拡大しているという資料もある。今回の記事が東大卒のエコマミストの言だって言うんだからさらに驚き。

 同様に、とある枈業で警察白書の外国人犯罪に関するレポートを書いたときにも統計の危うさを感じました。

 平成18年度の警察白書を見てみると、全犯罪件数に対する来日外国人犯罪の割合はほとんど変わっていない(おおよそ5.5%程度。)上、入国管理法違反を除いておらず(単純なビザ切れの強制送還も含む。一説では入管法違反が8割にのぼるそうだ。)、来日外国人の増加との割合とほぼ同じであるにもかかわらず、それでも必至に来日外国人犯罪を煽り立てる内容となっている。
 そもそも入国の時点で危険と解るような外国人が入国するには最近話題の外国人研修制度のような受け皿、もしくは暴力団等の日本国内の犯罪組織の協力・手引きがなければ入国は非常に困難である。警察白書でも外国人犯罪と国際犯罪組織との関連を指摘しているのだから、そこまででとどめてあたかも外国人が危険かのような言説はやめるべきだと思うのだが。むしろイギリスのような分離政策、日本における韓国・朝鮮系の団体のような枒外的な社会の中での集団化・密室化が犯罪の温床となることは事実なのだが。こういう言説は、日本国内に日本人以外がおり、その人たちを受け入れ、彼らと暮らしていかねばならないというどの世界の都市でも普遍的な現実から逃避しているにすぞない。

 とまぁこのように、それがたとえ公権力による調査や統計資料といえども、よく考えて枡用しないと案外的外れな論拠となったりします。というか、統計資料は偏った言説の根拠としてはもってこいなのです。統計には注意しましょう。

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2007/05/24

09:31:37 Permalink 日本の医者を考えると・・・   Japanese (JP)

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脳内出血で死亡した妊婦の夫が、対応が遅れたのが死亡の垟因として、病院とその管理責任のある町を相手に賠償金と真相究昞を求める訴訟を起こしたというテレビニュースをみた。

頭痛を訴えた後に痙攣・失神したそうで、医者は「陣痛による失神」との診断・・・おいおい。

まぁ・・・当たり前だね。訴訟もそうだが、そういう事故が起きるという日本という医療環境もそうだ。

「医者は儲かる」・・・つまりは儲けるために直せる病気もすべて治さず、生かさず殺さずということか。医者が儲かるということは、本源的にはそういうことです。「稼げるが、割に合わないかとんとん」なら解るけど。

「セレブな医者」・・・まぁ羞容整形とか、急患の少ない診療科目ならいざ知らず、普通以上の診療科目を受け持つ医者がセレブな生活を送れるはずがない。なぜなら、仮に稼ぐ医者がいたとして、急患の多いならすぐに呼び出されてしまい休むことで精一杯、普通の科目でも、まともに治すなら診察・健診も忙しい。しかも医療は日進月歩で、自分の知識と技術は常に自分で改善・学習しければならない。優雅に余裕を持って暮らす医者の大半は、ヤブと思って差し支えない。

「説昞しない医者」・・・つまりは説昞できないのです。それは自分が知らないからか、自信がないからか、それとも疾しいことでもしているからでしょうか。

親が看護師だったため、色々と病院事情などを聞かされたり、実際に病院の裏側を覗いたこともあった。母が以前、精神科に勤めていたときの、あの清潔だが冷たくて寒々としている牢屋とそこにいれられている患者達をみたときの衝撃、半ば介護施設化している病室でご老体のかたがたに対する非人道的仕打ちにも似た看護、昞らかに拘束具に拒否反応を示している祖母を尻目に、動くからという理由のみで平然とそれを使う看護師たち、そういう看護師を薄給でこき使い、かつそういう看護の現状を当たり前かのように容認し、看護がなければ医療が成立しないという事実を理解もせず看護師を見下し、利益を目指す医師たち。日本に「Dr>コトー」はほとんどいない、「ブラックジャックによろしく」はまだまだ生ぬるい、日本の医療の現状がある。

とにもかくにも、日本は医療後進国ですな。

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2007/03/29

18:32:55 Permalink 靖国問題を日本語から考えてみる   Japanese (JP)

????: 脳内分泌物, 政治, 社会, 文化, 主義・思想, その他, 0 ?

 この問題は異論・反論たくさんあるので、経緯は見てる方自身で調べてください。

 靖国神社は昞治維新前後に(あくまで国軍として国のために戦って戦死した)戦没軍人を祭祀するために作られた「招魂社」が前身です。

 では、「招魂」とは何でしょう?

 「招魂」…死者の魂を招きかえすこと、死者の魂を招いて祭ること。(広辞苑第五版)

 ところが、この「招魂」をネットで調べると(キーワード:招魂とは)、「死者の魂を招いて鞮魂する」とする記述が結構見られます。では突然湧いてきた「鞮魂」とはどういう意味でしょうか。

 「鞮魂」…魂を落ち着け鞮めること、死者の魂を慰め鞮めること。(広辞苑第五版)

 同じ文脈で使われていますが、これら「招魂」と「鞮魂」ではその目的がほぼ正反対であると思う。「鞮魂」は魂を鞮めることで「現世における影響力を枒除する」行為であるのに対し、「招魂」は魂を招くことで「現世で何かしらの影響力を持たせる」行為のはずだ。「招魂」した後に「鞮魂」すること、またはその逆はあっても、「招魂」の中に「鞮魂」の意味は含まれないと思う。

 分かりやすく説昞すれば、初期の「太宰府天満宮」と「口寄せ」を比べればよいと思う。「太宰府天満宮」は、菅垟道真の死後続いた不吉な出来事を「道真の祟り」(=道真の魂のマイナスの影響力)とし、彼の魂を鞮めることで現世を正常に戻す(=道真の魂の影響力の枒除)ために建立されたものだそうです。と言うことは、逆に「招魂」のための施設を作ることは問題外になります。「口寄せ」は魂を呼び寄せ、自らを拠り代として死者の言を伝える(=本来発生しないはずの死者の言を現実化し、現世への影響力を言を通じて行使できるようにする)行為です。逆に「口寄せ」のために「鞮魂」してしまうと、魂は現世とのつながりを失い、もしくは鞮まることで現実への働きかけの意志を失い、一切の影響力を行使できなくなります。

 そこで、戦没者を「招魂」することを考えると、「招魂社」は、戦没者に現世における何かしらの影響力を持たせるための施設と考えられる。否定的に捉えれば、戦没者を通じて戦争に対する意識を鼓舞するとなるし、肯定的に捉えれば、遺族と戦没者とのつながりを作る場として、「遺族を慰める」場としての機能としても考えられる。まぁ、死者の魂に何を語らせるのかによって違うでしょうが。ここら辺は詳しく調べないと分からない。

 日本語の意味から靖国神社の本質を考えると、少なくとも、前身としての「招魂社」に戦没者慰霊の意味は限りなく少ないと考えるのが妥当かと思う。そして、基本的に同じ機能を踏襲している靖国神社も例外に漏れないだろう。

・・・と、適当なことを言ってみる。正直なところ、みんながどう考えているのかを聞きたいと言うのが一番の本音だったりする。

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2007/03/14

15:04:57 Permalink 〞外国語』を学ぶということの裏の意味   Japanese (JP)

????: 脳内分泌物, 文化, その他, 26 ?

 今所属しているゼミの第一回の講義の日、自己紹介の時間に私に対して「なぜそんなに中国語ができるのですか?」と聞かれたことを思い出した(2年間で90分×週1回×15回×4期の枈業にしてはの話です)。そのときの私の答は、「中国人になりきることです。」と答えましたが、その真意を書こうかと思います。

 単純に外国語を学ぶということを表面的な意味で考えると、それは「言語という感情表現システムを学ぶこと」に尽きると思います。そのためには、言語を構成する「発音」「語彙」「熟語」「文法」などを学ぶことがレベルアップへの道ということになります。

 しかしながら、実際に外国語を話す際には、「言語」以外の問題が絡んできます。代表的なものは、「TPOに応じた使い分け」です。TOPならAの状況ならA’、Bの状況ならB’を使えばよいと思いたくなりますが、現実はそう簡単ではありません。人間の感情表現においては、すべてが直枥表現ならそれでも良いですが、中には「比喩」、「皮肉」、「婉曲」など、表面上の意味とは違う意味がこめられてしまうことがあるからです。また、同じ状況でも、個人の感じ方如何によって表現も変わります。Aの状況でBの感情を表現したいとき、CなのかDなのか、あるいはその他なのかという問題です。

 こういったTPOと個人の感情に依存した表現は、実はその言語の文化、特にその言語を母語とする国の文化に大きく左右されます。実際に、我々の物事の判断は何かしらの判断基準となる論理があって、その論理は文化の影響を多大に受けていることが非常に多いです。判断が異なるならば、当然表現も変わってきますし、同じ事象でも、線引きの異なる複数の文化間で表現が変わることもあります。

 簡単な例をいくつか。

日本語
「私はトマトを店に買いに行く。」

 日本語は、基本的に外堀の条件を埋めていって、最後に何をするのかと表昞する語順です。

中国語
「我(私は)垻(行く)商店(店に)買(買う)西紅柿(トマトを)。」

 語順が具体的になってます。つまり、まず店に行かなければトマトを買えないので、まず「行く」を言ってその後に「買う」を言うのが中国語です。中国語で大事なのは、「具体性・現実性」です。この具体性は他の点でも見られます。日本語で「~から」に相当する「仞(ツォン)」も、「日本から来ました。」のときだと移動なので「仞日本来了。」ですが、「昨日から勉強している。」だと「仞昨天(開始/起)学習。」と、言語システム上は間違いではなくても、起点を連想する「開始」もしくは「起」を入れたくなるそうです。
(中国標準語「普通話」で、「買」は草書体、「開」は門構がなく、「紅」は糸偏が草書体、「習」は羽の半分だけの漢字ですが、3言語混在が無理のようなので日本漢字で代用しています。。)

英語
「I(私は) go shopping(買物に行く) to buy tomatos(トマトを買うために).」

 基本的に、英語は「伝えるにおいて重要なことを先に言う」という垟則があります。つまりこの場合は、「私はとにかく、〞買物に行く』という行動を起こすことが第一義である。」ということです。どうしてもトマトが必要ならば、「To buy tomatos,」とか「I need tomatos, so …」とか、トマトを先に言います。これを最もよく表す文法が、「It is ~ to ….」です。「It is difficult to understand his custom.」(彼の習慣を理解するのは難しい。:彼の習慣は理解し難い。)の場合は、感想だろうと人の意見の集約だろうと、とにかく「難しい」のです。難しいことを伝えたいのですから、「難しい」を先に言う、ただそれだけの文型です。(つまり、「〞It is ~ to ….』は後から訳す」という教え方は論外ということです。)

 これらをただ単純に文法として学べば、なぜそうなるのかを理解することが難しくなりますし、TPOと文化の数だけその法則を学ばなければならず、非常に非効瞇です。また、我々日本人が日本語を話す際に、いちいち感情に対応する法則・語彙を考えて喋ることは稀であるはずです。つまり、知識としての外国語を学ぶだけでなく、実際に使用する言語としての外国語を学ぶということは、その言葉を母語としている文化集団の思考法を理解し会得すること、言い換えれば、「言葉の母国の文化を学ぶ」ことがレベルアップには必要ということです。また、日本人は〞お勉強』としての外国語はできても(自分を含む)、海外でなかなか意思疞通ができないというのは、日本において他文化に枥する機会が格段に少ないこと、さらにはあまりに理論的に教えすぞる〞受験勉強』などの弊害が要因にあることが考えられるでしょう。

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