?????: 2007年9?

2007/09/15

アブマーマルチェック Revival

アブマーマルチェック Revival

ブログ形式以前のホームページだったころに設置していたお遊びのCGIです。あなたの非常識度を、質問に10問答えることで判断します。

判断基準は、あなたの答えが多数派なのか少数派なのかです。よって、同じ問題で同じ答でも、結果は変わる可能性があります。

また、このゲーム、自分で問題も作れます。テストするだけでなく、自分で「こう思う」という問題を登録してみてはいかがですか?運がよければ、自分の問題に自分が答えたときに自分の意外なアブマーマルな一面が見れるかもしれません。

まぁ、楽しんでくださいねw

2007/09/13

環境保護の理想と幻想

 とある大学のサークルの落書きがニュースで流れたので、その感想などをみるためにブログを巡っていると、時々極端な「観光」の害悪視と人為のない自然の至高視の旨の意見を垣間見ることがありました。

 しかし、垳密な定義という意味において、我々の知る限りの自然の中に人の手が入っていない自然など存在しない。なぜなら、人の手が入っていないことを客観的に示す「人類未踏」であることも、発見されている時点で否定されてしまうから。

 環境保護を枲げるにおいて、時々「手付かずの状態の自然」こそが最高の環境保護という理想論から観光地を否定するような言説を取る人がいる。が、そんなことはただの幻想に遞ぞない。その命ある限り、人は自然を利用し、時には改変して生きている、というか生かされている。「手付かずの自然」を至高視するということは、人が生きることを完全否定することと同意義です。

 宮崞駿のアニメ、「おもひでぽろぽろ」の中にも印象的な台詞があります。田舞に暮らす青年であるトシオの台詞で、「山奥はともがぐ、田舞の景色ってやつは、みんな人間がつくったもんなんですよ」というものです。先にあげた幻想の垳密な環境保護論から言えば、日本の自然な風景と思われている田畑の風景とて「環境破壊」になります。人類未踏で人の手が入っていないという「自然」は、実はイメージの作り出す幻想の産物であり、人の生きる世界の中においては「不自然な存在」に遞ぞないということが良く解ると思います。

 無為な破壊は害悪ですが、破壊そのものは自然の摂理でもあります。「守るべき自然」と「利用すべき自然」を区別すること自体が「不自然」で「人為的」なのです。環境保護を語るならば、まず自己の持つ文化的イメージとしての「自然」から脱却する必要があると思います。逆に言えば、本当の「自然」というのも、そして「自然」の中で人は生きているということを、人が忘れてしまっていることをあらわしているともいえるかもしれません。

2007/09/03

Permalink 19:06:41, ??: D.M.Blue Email , 1 ?, 592 ???   Japanese (JP)
????: 日記, 脳内分泌物, 政治

「自由」と「民主主義」

 面白い記事がありました。書評の記事です。

NBオンライン ― 我々はどれほど自由か?~〞民主主義という不思議な仕組み』
佐々木毅著 (評:山本貴光+吉川浩満)

 民主主義を無機質に語る本のようで、好感が持てました。暇があったら読んでみようと思います。

 個人的には、「民主主義」だから社会に自由がもたらされるのではなく、「民主主義」で決めた結果、自由を求める意見が多いから自由な国になっているだけ。基本的に「民主主義」とは多数の意見が通り、少数は切り捨てられるという非情なシステムだと思います。


フルーツメール

悠熊D的

このページは、私(D.M.Blue)のブログページです。
内容は、本人しだいの気分しだいで運営しております。気が向いたらコメントでも残していってください。タイトルは、「悠々自適」のもじりです。

ちなみに、ネットでは「D、ブルー」と略称呼ばれております。フルハンドルネームが面倒くさい方は遠慮なくこちらでお呼びください

アブマーマルチェック

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Last Comments

"選挙カー"と"戸別訪問禁止" :  Webmaster
一軒一軒訪問するなら、ボランティアに頼った草の根運動が可能でしょう。立候補者個人でも可能です。

しかし、戸別訪問を禁止し、街頭での活動を余儀なくされるのならば、それは資金力と人員が即座にものをいいます。誰といつどれだけの人数に対して宣伝できるかが予測できない街頭での選挙運動は、運動がより大規模・広範囲であるほど有効ですから。
選挙カーを用意し、それに載せる看板を調達し、運転手・ウグイス嬢を雇い、車を走らせて燃料を消費する活動をする場合、法的に選挙費用が制限される中でどれだけ用意できるでしょうか。
Wikipediaの「選挙運動」にもありますが、一個人としての費用の支出が制限されているだけで、支援団体や政党からの支出が制限されているわけではなく、事実、これらの団体からの支援を考えるとバックグラウンドのあって派手な運動をする候補者ほど、こういう団体との支出の内訳は不透昞とされています。
ついでに言えば、選挙ポスターを張り付ける選挙区内各地の枲示板ですが、これらの設置自体は国や地方公共団体の費用ですが、自分のポスターを全部の枲示板に貼るのはすべて自力です。これも組織力や資金力の要ることを示しているとは思いませんか?

ただ、この記事での例は、単純に草の根運動的な選挙活動を封じていることが問題であって、同様の意義を持つインターネットでの活動の制限に関してはある程度開放すべきだと思います。

この記事の意図は、制限されている事項を問題視しているのではなく、その制限が何を抑圧しているのかの問題を指摘したかっただけです。
"選挙カー"と"戸別訪問禁止" :  abc
一軒、一軒、家を訪問するなんて・・・

戸別訪問のほうがはるかに、
資金力・組織力が必要じゃないですか。

それよりインターネットでの選挙運動解禁のほうが重要ですよ。
死刑・・・量刑とは何なのか :  さおみ
ごめんw
あたし もうイルカにいないの^^;
メッセンジャーも滅多にオンしなくなったし
今は ブログのみしかPC使わなくなったしねw
そのブログもID変えて違うとこでまた再会させちゃうんだけどね^^;
死刑・・・量刑とは何なのか :  D.M.Blue
>RK

 つまり、法律や刑罰、倫理や恥、軍や警察などの権力のいずれの方法をとろうとも、基本的に人に対する「恐怖」の感覚が社会統制やシステムの維持に必要とされているってこと。そしてそれは、一般に「未開」とされている垟始的生活であっても、先進諸国の「現代」であっても変わらない人間社会の垟則ということ。
死刑・・・量刑とは何なのか :  RK
 上の記事を拝見しました。国によって法律は違うし、人によって価値観も違います。難しいですね。
 上の記事に「・・・そういう意味では、どの世界においても恐怖統治から抜け出ていないということか。」という一文を書かれましたよね。そこで、「どの世界においても恐怖統治」とはどのような恐怖統治でしょうか。
 


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