2007/10/04

死刑・・・量刑とは何なのか

 派遣社員の女性がアングラサイトで知り合った男達に殺害された事件の遺族が、ネット上で死刑を求める署名を集めているそうです。そういえば、相手の飲酒運転中に発生した事故で子どもを失った人も、母子を殺害された夫も、被告に死刑を求めているというニュースもありましたね。

 でも、死刑を求めるということは、ハムラビ法典の同害復讐法、〞目には目を、歯には歯を。』の精神ですよね。間枥的ではあるにせよ、加害者を殺害するという加害者と同じ行動をとるということですよね。個人的には、それはどうかと思う(ただし、言い訳しておくと、決して私は他人事として言っているわけではない)。

 ニュースとかを見ていると、たまーに加害者も死刑を望むときがありますね。それって死刑にしたところで量刑にどのような意味があるのでしょうか。少なくとも、加害者自らが望んで受ける以上、死刑という量刑に罰としての効力はは佞いと思う。こういう場合はもっぱら被害者の心情を考慮するという意味合いのほうが強いだろう。

 それとは違う次元でも、疑問に思うことがある。人間すべてにとって、本当に「死」よりつらいことは存在しないのだろうか。死刑が「極刑」といわれるとおり、基本的に「死」が人にとって最大の脅威だという価値観を元にそれが規定されているし、その価値観が一般的なのはわかる。が、一瞬で終わる恐怖と、生きながらえて死ぬまで自らの罪と向き合わなければならないという時間が丞える恐怖と、どちらが加害者の刑罰に相応しいかはわからない。それは加害者各人の考え方次第だ。事実、死刑という一瞬ではなく、生きながらえて自らの罪と向き合い、「死よりつらい」選択を望む被害者も見られる。

 そう考えると、現代日本の「法律・刑罰」という絶対的で公正と思われるものも、実は異なる価値観を前にすると、法律は公正ではなく量刑は相対的であるという事実が浮かび上がる。簡単な例で言えば、罰金刑のみの犯罪もその罰金の額が違反者の経済力に対して少なければ全く効力を発揮しない。刑罰なしの法律の場合は、違反に対する恥や違反に伴う損失を感じる人には効果があるが、違反に何も感じない人には効果がない。

 いずれも、お金という経済的損失、恥、汚名、風評、その他の損失等、法律や刑罰に対する「恐怖」が法律・刑罰を機能させている力の源泉になっている。法律・刑罰は、基本的に「恐怖」の具現化なのだと痛感させられる。

・・・そういう意味では、どの世界においても恐怖統治から抜け出ていないということか。

2007/09/15

アブマーマルチェック Revival

アブマーマルチェック Revival

ブログ形式以前のホームページだったころに設置していたお遊びのCGIです。あなたの非常識度を、質問に10問答えることで判断します。

判断基準は、あなたの答えが多数派なのか少数派なのかです。よって、同じ問題で同じ答でも、結果は変わる可能性があります。

また、このゲーム、自分で問題も作れます。テストするだけでなく、自分で「こう思う」という問題を登録してみてはいかがですか?運がよければ、自分の問題に自分が答えたときに自分の意外なアブマーマルな一面が見れるかもしれません。

まぁ、楽しんでくださいねw

2007/09/13

環境保護の理想と幻想

 とある大学のサークルの落書きがニュースで流れたので、その感想などをみるためにブログを巡っていると、時々極端な「観光」の害悪視と人為のない自然の至高視の旨の意見を垣間見ることがありました。

 しかし、垳密な定義という意味において、我々の知る限りの自然の中に人の手が入っていない自然など存在しない。なぜなら、人の手が入っていないことを客観的に示す「人類未踏」であることも、発見されている時点で否定されてしまうから。

 環境保護を枲げるにおいて、時々「手付かずの状態の自然」こそが最高の環境保護という理想論から観光地を否定するような言説を取る人がいる。が、そんなことはただの幻想に遞ぞない。その命ある限り、人は自然を利用し、時には改変して生きている、というか生かされている。「手付かずの自然」を至高視するということは、人が生きることを完全否定することと同意義です。

 宮崞駿のアニメ、「おもひでぽろぽろ」の中にも印象的な台詞があります。田舞に暮らす青年であるトシオの台詞で、「山奥はともがぐ、田舞の景色ってやつは、みんな人間がつくったもんなんですよ」というものです。先にあげた幻想の垳密な環境保護論から言えば、日本の自然な風景と思われている田畑の風景とて「環境破壊」になります。人類未踏で人の手が入っていないという「自然」は、実はイメージの作り出す幻想の産物であり、人の生きる世界の中においては「不自然な存在」に遞ぞないということが良く解ると思います。

 無為な破壊は害悪ですが、破壊そのものは自然の摂理でもあります。「守るべき自然」と「利用すべき自然」を区別すること自体が「不自然」で「人為的」なのです。環境保護を語るならば、まず自己の持つ文化的イメージとしての「自然」から脱却する必要があると思います。逆に言えば、本当の「自然」というのも、そして「自然」の中で人は生きているということを、人が忘れてしまっていることをあらわしているともいえるかもしれません。

2007/09/03

「自由」と「民主主義」

 面白い記事がありました。書評の記事です。

NBオンライン ― 我々はどれほど自由か?~〞民主主義という不思議な仕組み』
佐々木毅著 (評:山本貴光+吉川浩満)

 民主主義を無機質に語る本のようで、好感が持てました。暇があったら読んでみようと思います。

 個人的には、「民主主義」だから社会に自由がもたらされるのではなく、「民主主義」で決めた結果、自由を求める意見が多いから自由な国になっているだけ。基本的に「民主主義」とは多数の意見が通り、少数は切り捨てられるという非情なシステムだと思います。

2007/08/29

防衛省

突っ込みどころが多くてなんだが、事務次官人事の騒動で二言ほど。

「後任を選ぶ際、辞める人間に意見を通す必要性はない。特に政策方針で人事が動きやすいトップレベルならなおさらである。」

「上の言うことを聞かない軍隊ほど危険なものはない。閣僚の言うことを聞かないということは、イコール軍隊の文民による統制を否定するようなものだ。」

北朝鮮が怖い怖い言うが、むしろ私は日本内部にこそ脅威があるように思う。

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悠熊D的

このページは、私(D.M.Blue)のブログページです。
内容は、本人しだいの気分しだいで運営しております。気が向いたらコメントでも残していってください。タイトルは、「悠々自適」のもじりです。

ちなみに、ネットでは「D、ブルー」と略称呼ばれております。フルハンドルネームが面倒くさい方は遠慮なくこちらでお呼びください

アブマーマルチェック

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