難しい語彙やカタカナ語の多用は、他人を説得する気が無いことの表明である。

只の個人的持論ですがね。あくまで最低限度の知識は必要という前提のもと、それでも多種多様な能力・レベルの人間が混在する社会では、自分の放った一言は意外と多くの人の耳や目に届くもの。そういった多様な他者の目を気にせず自分が心地よいだけの言葉しか発せられない人は、他人はどうでもいいっていう意識がどこか根底にあるからこそではないかと思うわけです。

しかも、語彙やカタカナ語を駆使するのはいいけど、微妙に意味を違える例もある。いずれにせよ、自分の意思が正確に伝わらない事の恐怖があれば自分の言葉をわざわざ難解にする必要性はないかと。

『鶏口となるも牛後となるなかれ』という故事成語があるけど、あれって原典では諸侯に対して大国に追従するなと説得しているだけで、だれでも彼でもそうあれと言ってるわけじゃないらしい。リーダーとしての能力がある人、リーダーとしての立場のある人間は、大きい組織に対して無闇に追従するべきではないということであって(実際、原典でも(立場のある)諸侯で協力すれば勝てる(能力がある)のに大国に追従するのはおかしいじゃんって話なので)志を高く持てって話よりも、どちらかと言えば適材適所や時節をわきまえた身の処し方を意識した言葉みたいなんだよね。

『バーター』もずれた使い方する人が稀にいる。基本、英訳「物々交換」なので、互いにあげてもいいものをあげて、相手の必要なものを手に入れる等価の妥協の言葉かと。でも、譲り渡したくないが渡さなければ手に入らない、あちらを立てればこちらが立たないような対立・矛盾した妥協・交換条件のときは『トレードオフ』だと思うんだが。

『コンプライアンス』は『コンプリート(完全な状態)』と同じ語幹なので、単純に何も考えず法令に従うだけならコンプライアンスじゃなくて、従う(obey)の『オビディエンス』で十分です。

まぁ、自分も結構思い違いが多いから、人のことは言えないのですが。自戒の念を込めてここに記そうかと思っただけです。

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