職場は学校ではない

新人の心構えがいつまでも学生気分のままで一からすべてを教えてもらわないと自分から覚えようとしない点を糾弾する理由としてよく用いられる言葉だと思うのですが、これは逆に教える側の先輩諸氏にも適用される言葉でもあります。

特に高等教育は教える側が最初に提示した最低限度の能力を教えることが使命であり、学生本人が身に着けたか、本当に各人の実力になったのか、実用レベルに達したのかについては厳密に結果が求められるわけではありません。

職場は違います。入ってきた人間は須らく使える人間になってもらわないと困ります。人員が割り当てられた時点で、すでにあなたや同僚がせっせと稼いだ営業利益から金銭的コストが支払われ、教育係という人的・時間的コストが割り当てられているのです。これらのコストの投資を回収する方法はただ一つ、入ってきた人間が使える人間になってこれらのコストを上回る成果を上げてもらうことです。

公明正大に八方手を尽くしたと言えるなら、どうしても使えない人間として切ったり異動させるのは構いませんが、先達としての育成能力を発揮せず新人が消極的だからと言って自分まで新人に対する態度を消極的にしていて、どうして相手を指示待ち人間と非難出来ましょうか。先輩後輩、新人古参という立場が逆転しているだけで、相手が何も言わなければ自分は動かないという点で同じなのですから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください